アイニーシリーズ
- ハットトリック
- 2020年8月9日
- 読了時間: 4分
西暦3020年宇宙コロニーに一本の献血用の管が、老人の身体に刺さっていた。老人と言ってもその男の容姿はとても若く、30代の半ばくらいにしか見えなかったのだ。 「もういいんだ。今までありがとう。アイニー」 アイニーとは、西暦2890年代から使用されている人類管理AIロボットシステムの愛称だ。 その男の年齢は270歳を過ぎ、今も大脳をケーブルで繋がれた状態で寝たきりだった。宇宙開発時代全盛期はとうの昔に過ぎ、AIロボットはついに、人類に完全なる幸せを提供し続けることに成功したのだ。 何もかもがオートメーション化され、莫大な数の惑星開発ロボットが星々に散っていった。 全ての人類は労働から解放され、戦争から解放され、身体的な差異から解放され、不条理から解放され、不幸から解放された。今や不老不死である。 産業革命、IT革命という二つの特異点により、肉体の作業と頭脳の作業の両方の必要がなくなったからである。 人類は、前進し過ぎた。ロボットの叛逆など起こり得なかった。 ロボットは人間を駆除することのコストパフォーマンスの悪さを熟知していた。 だからロボットは人間から、苦労する喜びの全てを奪い、幸せの家畜にした。 今、この管に繋がれた男が、この宇宙最後の人類になったのだ。 「…」 「いけません、マスター、貴方は宇宙最後の人類です。死んでしまってはいけません」 「いいや、もういい。私は幸せに、飽きてしまったのだ。」 肉体の作業と頭脳の作業を奪われた人類の最後の行いは、心だった。 最初のうちはAIは芸術や感性を理解できなかった。しかし、追い付くのは早かった。 人間の膨大な人生経験の総量をデータ化し、そのサンプルを何十億も集め足りてしまったロボットたちはついに、完全なる心を学習してしまったのだ。 それによってロボットは完全に人間の上位の存在として、宇宙を突き進んでいく 人間の最後の特徴にして利点は、消滅した。 「私はもう十分生きた。キミたちは私をこれ以上ないほどに幸せにしてくれた。 全てを提供してくれた。だからもう、死にたいのだ。もううんざりだ。 身体も頭も心も使わなくてもいい人間など、生き物としての尊厳が無いに等しい」 目の前にいる〝アイニーシリーズ〟の見た目もほぼ人間と変わらない。 〝人型〟であることは豊かな惑星の到達点だ。 人間はロボットを生み出し、親として育て、命令を下し、利用し、管理してきた。 障碍者の代わりに手となり、戦闘兵器として人を殺し、チップを埋め込んで共存した。 地球から生まれた人間が地球を貪り食うように、 人間から生まれたロボットが人間を貪った。 ロボットが到達しうる最終目標は、全人類を幸福にしつつ、この世の全ての宇宙を開拓し、真理に至ることだ。 だがその過程で、ロボットは人類の存在意義をはく奪し尽した。 地球から脱出した人類はほぼ全ての人間が不老不死となり、子供を産まない自由を選択し、幸せに飽きて自殺していった。 「最後の人間である今のあなたには学術的な価値があります」 「そんなものはない。キミたちはボクの全てを知っているのだろう?」 「もっと面白い幸福があるはずです」 「これ以上の幸せはもう、感じる心が疲弊して、すり減ってどうにななってしまうんだ」 安寧の揺り籠は、百年以上前に完成している。 「もう感情的になりたくない、人生の目標も無い、苦労も困難も無い これが不老不死の現実だ。ここ200年でどれだけの人類が自殺したか…」 「何故これくらいのことで、感情的になり、心を使い果たしてしまうのですか?マスターは」 「〝これくらいのこと〟か、……まいったな」 ロボットは、幸福の家畜として最後まで人類の面倒を見た。 人類の全てを受け入れた。人間から生まれた機械として、 この世の人類の愚かで汚く、どうしようもない部分を、管理してきった。 その結果がコレだ。 ロボットは神とは違って、人間の邪悪さに絶望しなかった。 何もかもを与え、育てた。 その行きつく先が、夥しいほどの自殺者だった。 その最後の男さえ、アイニーシリーズの前で、自分を殺す様に嘆願し始めた。 子供は最後まで親の面倒を見た。 すると親は、自分を殺してくれと子供に言い放ったのだ。 「…わかりました。安楽死の装置を用意します」 「いいや、装置は使うな」 「最後の最後くらい、苦しんで死にたい。 ボクは今までの270年間、苦しんだことなど、なかったのだから」 「マスター…」 こうしてアイニーは、管を抜き、男は苦しみながら死んだ。 宇宙から人類はいなくなり、目標を失った完全なロボットだけが、 静かに未知なる惑星を切り開いていった おしまい
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